ハスラー0 (zero)
キュー・ライフ ( Cue Life ) 2000年9月号: コラム原稿下書き
タイトル: ハスラー 0 (ゼロ)
この日本に『ハスラー』は存在しないと想っている。
狭すぎる世界と、稽古をつけてもらうという気質が、その存在を許容しない。
本場で言うところの本来の意味は、映画『ハスラー2』の中で、フォレスト・ウィテッカー( Forest Whitaker ) が演じる初心者風の男が、ポール・ニューマン演じるエディに、
『この私がハスラーされるなんて!』
と、地団駄を踏ませるあのシーンが唯一当てはまる。
軽い意味で、この呼称を使ったり言われたりするプレーヤーは数多いだろう。
しかし一日中食事もろくにせずに、骨身を削って球と格闘し、勝ってもせいぜい夕食代 2~3人分程度にしかならない賭け事を、下手をすればゲーム代のほうがかさむ賭け事を、
『ギャンブルだ! ハスラーだ! そんなだからこの業界は・・・』
と騒ぎ立てているのは、他ならぬ関係者だけらしい。
そんな話はさておき、私には 『ハスラー』 という響きで、思い出す男が一人いる。
「アナタのこと聞いてきたんですが・・・」
ギャリーと名乗った青年は、横田基地に配属された日系アメリカ人だった。
その青年はある日突然、大柄な男を通訳に従えて、私の前に現れた。
連れの男は土屋と名乗り、一橋大学で心理学を研究しているかたわら、彼と友達になって、彼の行動が興味深いので通訳兼お供をしているのだと自己紹介した。
「誰に聞いてきたの?」
「後楽園で・・・」
「ああ・・・。 でっ?」
「プレーしてもらいたいんですけど・・・」
「いいけど・・・」
「・・・いくらでやりますか?」
相手に言わせる。
わかっていても、自分からは言わない。
先に書いたように、せいぜい骨身で夕食代程度の交渉だ。
こんな場面でいきなり万単位を口にした人もいることはいた。
新宿裏カジノのディーラーが球の世界にハマッタ当時、相場を知らずいつもの感覚で言った時。
それと、会社をいくつも経営していたアメリカ人の社長が、インビテーショントーナメントの為にはるばる本国からやってきた世界チャンピオンの練習日に会いにきて、チャレンジマッチという形で、二度とない機会に敬意を払い、ほんの数ゲームだけそんなレートでと。
「後楽園のプロには勝ちましたよ」
「えっ?」
日焼けした精悍な顔立ちと、鍛え上げられた体格の青年は、どう見ても20代前半だった。
そして、その世界に深く浸かった者だけが放つ独特の、球の匂いと言うか雰囲気と言うか、それがほとんど感じられないのに、当時数年にわたって頂点に君臨していたあの人に勝ったと言っている。
驚くより、? が先にきていた。
「タイで?」
「とんでもない、もちろんハンディもらってですよ」
「そう・・・」
「同じハンディでやりましょう!」
彼はその時、チャンピオンとこんなハンディで対戦したと私に説明した。
(コイツ・・・)
私は疑問を感じ、
「でも勝ったんでしょ? あの人に、現日本チャンピオンだよ、それもブッチギリの」
と切り替えした。
「じゃあこれでは?」
すると彼は、少し差し引いたハンディを提示してきた。
私は一歩も譲らず、決め台詞を切り出す。
「だってまだ、お互いを何も知らないんだよ?」
一人のプレーヤー同士、初対面で手の内を何一つ知らないなら、ハンディを要求する方がおかしい。
肩書きなど無意味だ。
少なくともそんな理屈が解るタイプの、気骨な青年には反論できない。
青年はそれ以上の交渉を諦め、最初のハンディから 5歩くらい下がったところで渋々納得。
そしてゲームが始まった。
ゲームは私に有利な条件で始まったので、なんなく数ゲーム連続して勝つ。
すると彼は、ハンディやルールを変えて欲しいと要求してきた。
そしてその要求は、数ゲームごとに繰り返された。
どれもこれも、これまで一度も経験したことのない複合的な条件を組み合わせたゲームだった。
私はその都度それなりに対応し、この珍しい出来事と、青年に興味を抱きながらゲームを続けた。
彼の腕前はせいぜいBクラス、技術的に眼を見張る部分はなかった。
しかし、見るからに聡明で、集中力に優れ、精神的にはかなりのものだったと想う。
それまで一度も対戦したことのない、お目にかかったことのないタイプだった。
キューを交えると、その動作ひとつひとつに互いを観る。
イメージ通りに行かなかった時、その瞬間の表情と反応。
失敗したけれど偶然相手に不利な形で残った時、その瞬間の表情と反応。
数え上げたらきりが無い。
真剣になればなるほど、集中すればするほど、一瞬に自分をさらけ出してしまう。
取り繕って誤魔化そうとすれば、それさえも。
言葉の枠を超えた触れ合いだ。
技術と内面のギャップ、彼ほどその差を感じてしまうプレーヤーに出会ったことない。
私は彼に翻弄されながら、次々に変わるルールのハンディゲームを楽しみ、それは賭け事というには程遠く、特殊な心理ゲームに引き込まれて、集中しているのかいないのか解らないうちに、結局お茶代くらい負けて終わった。
降参したのだ・・・私から。
何とも形容しがたい、だるい疲労感に見舞われていた事を今でも思い出す。
勝ったゲームに快感がともなわない。
これまでやったことのない、複雑なルールを組み合わたハンディゲームに意識を奪われて、終始 ? が付きまとう。
集中して良い感触が連続した時に訪れるあの快感も、一瞬現れたかと想ったら、次々に変わる条件にかき消されてしまう。
そんなゲームをしばらく続けられたのは、彼という人物に興味を抱いてしまったからだ。
ショットの合間に垣間見る、彼という存在に。
何故だろう?
どこかにそれを想わせる行為があったわけではない。
それを匂わせる言葉を吐いたわけでもない。
なのに私は彼が、とてつもなく深い傷を負っていると感じてしまった。
それもハスラーに、彼にとって何か特別な、大切なものを奪われたのかもしれないと。
彼の、球に向かう時に発する雰囲気が、波長が、表情が、何より彼の放つショットが、私にそう感じさせたのだ。
(恋人? ・・・財産? ・・・名誉?)
そんな単語が、私の脳裏を過ぎった。
根拠になりえるようなものは何一つ無いのに、私はその時心に浮かんだ思いを確信していた。
(仮にそうだとしても・・・)
そんな虚しさが、同時に湧き上がって・・・。
しばらくして私は、耐えられなくなってしまった。
スタートからわずかなリードを保ちながら、一進一退を繰り返し2時間ほど続いたその、快感をともなわない、ムズガユイ、もどかしいゲームに。
たとえわずかでも、勝っている間は、相手が降参しない限り続く。
それは少なくとも、その当時この世界では、無言の決まりごと。
彼にそんな感覚があったかどうかは別にして、私の気持ちは少しずつ萎え、一つ負けたときに自分から終わりにした。
「どうして?」
彼は続けたがった。
「約束があるから・・・」
私は体のよい言い訳を取り繕った。
それでも彼は、結果的に勝ったことへの満足感があったらしい。
連れの男とにこやかに何か話していた。
彼は次の場所で、私にも勝ったと触れ回るのだろうか?とか、そんな気持ちさえ面倒くさくて沸かないほど、ダルくて、ただ・・・溜息だけが漏れた。
その後彼は何度か現れたが、その度に私は、適当な言い訳をして逃げていた。
どうしてもその気になれなかったからだ。
ある日、時々行く渋谷の店で、偶然彼と遭遇したことがあった。
通訳の大男は見当たらず彼一人。
相手が見つからなかったらしく、私を見つけると、また例のゲームをせがんできた。
それは真夜中、終電も終わり、朝五時までの店に一人で来た私は、承諾する他無かった。
その店は兵達(ツワモノ)があつまる殿堂の店。
メンバーが集まると、入り口前に大きなスペースを取って設置されている『花台』で技を競い合い、ギャラリーがそれを囲む。
基本的にトップクラス限定使用のテーブル、ハンディキャップという言葉は存在しない。
私も少しは知られた存在ではあったから、そのテーブルに思い出は多いが、この日の夜は、Bクラスの彼にハンディを振っての、それも特殊なゲーム。
そんな時はヒッソリと隅の方のテーブルで、それは『花台』を特別扱いする暗黙の掟。
そこでは異邦人の、日本語を話せないBクラスの彼が、相手を見つけられなかったのは自然の成り行きだった。
何人かに声をかけたらしいが、兵達(ツワモノ)達は概して英語が苦手、なのにいきなりハンディを口にするBクラスの彼を、相手にする筈も無い。
そんな兵達(ツワモノ)達も、彼と私がプレーを始めれば、興味を示して観に来る。
そして彼の腕前を確認したら、程なくテーブルを離れてゆく。
変てこなルールに ? マークを残して。
そこは特別な場所。
視線があるからテンションも上がる。
私はその時、前回よりレートを上げ、そして前回最後にやったルールとハンディを変えないと、彼に約束させてからゲームを始めた。
もう変てこなルールやハンディに翻弄されることはない。
通訳の男もいないし、余計な会話もない。
私にとって好条件が揃った。
それでも彼が承知したのは、せっかくの休暇に都心まで出てきたのに、通訳の都合が悪かったのか、相手を見つけることができず、始発が走る時間まで見知らぬ店で退屈してたら私が現れ、コレ幸いと思ったばかりではなく、私にはもう勝てると思い込んでいた節がある。
ゲームが始まり、私はほぼ最高の出来で彼をちぎった。
最初彼は、前回とは別人のような私のプレーに、少し驚いた様子を見せていたが、一時的に調子が良いだけなのだろうと高をくくっていたに違いない。
「今日は調子がいいね!」
さっそく私の集中力を削ぎにかかる。
「そう?」
視線を合わさず、プレーも中断せず、冷ややかにかわす。
そんな、懐かしささえ覚えてしまうほど使い古された手法は、余計に私を発奮させるだけ。
私はどんどん自分の世界に入っていった。
自分に酔えるほどの好調は、快感をともない、疲労を感じさせない。
前回彼に見せることの無かった、高度なショットを何度も放ちながら 『思い通りの世界』 を楽しみ、さらに未知のドアを開こうと戯れる。
好調もこれほどのは、そう度々訪れない。
そんなプレーがしばらく続くと、技術的なことが理解できなくとも、それが彼の知っている球の世界とは、全く違うということが伝わったようだった。
ボードのスコアが示す数字はケッコウな金額に登り、彼は一度だけ口を開き、何か言った。
(降参かな?)
そんな様子も見えたが、彼は少し考えて、プレーを続行した。
それからの彼は、汗をかきながら黙々と、ひたすら一生懸命ゲームに立ち向かっていた。
その姿はとても潔かった。
あの時の彼を、今になってそう想う。
それは好意的な見方かもしれない。
でも、時を経た今だからこそ理解できる、そんな気がする。
彼はきっと、その状況と真っ直ぐ対面しようと決めたに違いないと。
姑息な心理作戦は使わず、ただ、その厳しい状況の中で、自分自身を見つめていたに違いないと。
実際あの時の私は、そんな彼の姿を見て、
(ああ、またエンドレスの展開になってしまった)
そう想っていたのだ。
(あと 2時間か・・・)
確か夜中の 3時頃だったと想う。
その瞬間から、私の意識は彼の球に向かった。
彼の、球に対する一挙一動に。
(本当の実力を隠しているかもしれない・・・)
そんな疑心がどこかにあったのは確か。
しばらくして、それはないとわかると、再び彼の内面を想ってしまった。
(なぜそこまでして、球と格闘する?・・・)
プロを目指す者、技術を極めたいと願う者、そんな輩とは何度も対戦してきている。
キューを交えれば、伝わってくる。
そんな輩には、自分もそうされてきたように、徹底的に叩くのことが何よりの敬意なのだ。
でも彼は違っていた。
彼が求めているのは、球の世界でも技術でもなく、何か別のもの。
それが伝わってくる。
年下の好青年? が目の前で必死にもがいている。
腕前は初対面で把握していた。
この日の展開は、始まる前から予感していた。
彼は選手を目指しているわけではない。
こんな感情を抱いてしまう私は、勝負の世界に向いていない・・・。
私の好調は続いていたが、未知のドアを開こうと戯れるほどの、滅多に訪れない世界にまで突入してしまうと、ホンの些細な事が歯車を狂わせ、見慣れた世界に引き戻される。
酔いから醒めるあの瞬間のように。
私は初対面の時に感じた、あの独りよがりな想像を思い出していた。
そして、あの時と同じように、虚しさが襲ってきた。
そしてまた、あの時と同じように、何もかも面倒に思えてきた。
大差のスコアをチャラにするには一時間ほどを要したが、私はそこでキューを置いた。
「止めるの? ・・・これからなのに・・・・」
力なく彼はつぶやいた。
私は何も言わなかった。
彼もそれ以上、何も聞かなかった。
そんなことがあって、半年も過ぎた頃だったろうか? 彼のお供をしていた土屋という男がフラッとやって来た。
ギャリーが軍隊を退役してアメリカに渡り、ハスラーしながら放浪しているらしいと言う。
彼に付き添っての行動は、心理学的にとても興味深い体験だったと語る土屋の話を聞きながら、私はギャリーを想っていた。
広いアメリカ本土をたった一人、球の世界を追い求めるわけではなく、埋められない 『心の傷』 を背負って彷徨う彼を。
うがった見方をして、あの夜の出来事さえ、何もかも彼の心理作戦だったと振り返ってみる。
・・・やはりそうは思えない。
彼のやり方は、格上のプレーヤーに挑戦して、独特のルールと心理作戦を絡め、煙に巻く。
状況を的確に把握し、相手が調子に乗るのをかわしながら、自身は全力を出し切ることに集中する。
けして腕を偽ったプレーはしていなかったことを、私はあの日の夜中に確信した。
彼の言いなりになるのではなく、自分も同じように条件をコロコロ変えたら、大差がつく可能性はほとんどない。
一進一退を繰り返し、どうしても決着がつかないと双方が感じ、最後に大きな勝負でという流れになっても、それは互いが納得したフェアーな戦いと言えるだろう。
精神的な疲労度という意味で、彼の方に分があるのかもしれないが。
そんな戦い方をする彼は、本来の意味する 『ハスラー』 ではない。
(格下の者とはやらないだろう・・・)
そう思わせる青年だった。
キャリアが長く、わずかな技術の違いしかないのならまだしも、明らかに格差のある相手に、あんな方法で戦いを挑むなんて!
彼が背負ってしまった心の何かに、正々堂々と決着をつける唯一の、考え抜かれた方法だったに違いない。
私の感じていたことが仮に間違っていなかったら、
彼をあそこまで追い込んだ、
本来の意味する 『ハスラー』 が、
・・・たぶんいた。